追悼 村下孝蔵さん

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最初に聴いた歌

「初恋」「踊り子」などのヒットで知られる歌手村下孝蔵さんが99年6月24日、46歳という若さで急逝されました。私が村下さんの歌を初めて知ったのは10年ほど前でしょうか、「踊り子」が最初に耳にした曲で、その透明な歌声、哀愁を帯びたメロディーに強く惹かれました。


96年の七夕コンサート

私自身は、村下さんの全ての曲をそらんじているような熱狂的なファンというわけでもなく、CDを数枚持っている程度ですが、96年からは夏に行われる「村下孝蔵七夕コンサー」トに通うようになっていました。

96年のコンサート当日は雨でしたが、会場のメルパルクホールのまわりには入場を待つ人だかりができており、初めて行った私は改めて村下さんの人気の大きさに驚きました。

 特に大阪から出てきたというある青年の話が印象に残っています。彼は若くして難聴に悩まされ、医師からはいずれ聴力を失うと言われているのだそうですが、村下さんの熱烈なファンで、耳が聞こえる限りコンサートに通うと言っていました。

雨で入場整理が遅れ、帰りの新幹線の時間を気にしながら「コンサートではいつも最前列に座るんです」と言っていた彼は、村下さんの死を今どのように受け止めているのでしょうか。


98年の七夕コンサート
98年のコンサートの頃、私は左耳が原因不明の低音域難聴となり、医師からは大きな音を聞くことを止められていましたが、どうしてもこのコンサートには行きたくて耳栓をして恐る恐る聞きました。

その時解りましたが、異常のある左耳だけ耳栓をしても、バランスがとれないためか右の耳に強い圧迫感、違和感を覚えました。そこで、異常の無い右も耳栓をして何とか聞ける状態になりました。

それにしても大きなスピーカーを何段も重ねたバンドの音はものすごい大音量です。膝に置いたバッグがビリビリと震えるほどなので、非常に不安でしたが何とか最後まで聞くことができました。そして、それが
最後のコンサートになってしまいました。


97年の七夕コンサート

その前の年、97年のコンサートの時も、ちょうど私は病気を抱えていました。最終の診断が下る前の不安な気持ちの中で村下さんの歌声を聞きました。コンサートの後、数日して「異常なし」という診断結果をもらい、ほっとした持ちでアンケートを綴って送ったところ、忘れた頃に思いもかけず村下さんのサイン入りCDが送られてきました。
同封されていた通知には「全てのアンケートに村下孝蔵本人が目を通し、数人の方にCDを・・・・・」とあり、キャンセルになってしまった99年のコンサートのチケットとこのCDが、あまりにも残念な記念になってしまいました。


実現しなかった「村下孝蔵シルバーコンサート」

村下さんは最近の七夕コンサートでは、日頃あまり耳にしない曲をあえて選んで歌っていたように思います。村下孝蔵の固定的なイメージを変えようとしておられたのでしょうか。

しかし、私のような普通のファンにはやはり「花れん」「レンガ通り」「ゆうこ」など悲しげな曲がもっともぴったりくるように思います。私の一番好きな曲は歌詞もメロディーもすばらしい「夢の跡」です。
しかし、99年のコンサートまであと10日ほどのところで急に亡くなられ、生の歌声を聞くことは永遠にで
きなくなってしまいました。

97年のコンサートの時に村下さんは「定期的なコンサートをいつの間にかやめてしまう人も多いが、自分は歌える限り七夕コンサートを続ける」と言っておられました。

そこで私はアンケートに「年をとったら是非毎年9月15日に村下孝蔵シルバーコンサートを開いて下さい」と書いたのですが、それも「かなわぬ夢の跡」になってしまいました。心からご冥福をお祈りします。