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横浜消防出初式を撮った後、大磯の左義長に行って来ました。これはセエノカミサン(道祖神)の火祭りです。私はこの5年間でたしか4回くらい行っていますが、冬場のわりにはあまり天気に恵まれず、昨年は当日昼まで雪で、私は行きませんでした。(祭は行われたようです)しかし今年はほぼ快晴に近く、夕陽を入れたサイトの写真が撮れました。 なお、今年から点火が午後7時から6時と1時間繰り上がりました。これは地元以外の観光客には大変ありがたいことで、私も以前大磯町にメールで要望したことがあります。それが聞き届けられた訳でもないでしょうが、地元の方にとっても冬の午後7時まで待たなければならないのはどうか・・・・・・ということかと思います。 祭の由来などは到底素人が説明はできないので、大磯町の観光情報サイトから一部を以下に引用させて頂きました。 大磯の左義長はセエノカミサン(道祖神)の火祭りで、セエトバレエ、ドンドヤキなどとも呼ばれています。 由来は、昔この辺りで目一つ小僧と呼ばれる厄神が、村人のおこないを帳面に書いてまわっていたところ、 夜が明けてしまい慌てて帳面をセエノカミサンに預け、そのまま帰ってしまい、帳面を預かったセエノカミサンは 困り果て、自分の家とともに帳面を燃やしてしまいました。これがセエトバレエ(左義長)の始まりと言われています。 左義長の名は、中国の仏教と道教の故事に基づいたものですが、大磯では明治時代後期に大磯に居を構えた 初代内閣総理大臣伊藤博文の側近によって使われ始めたという伝承があります。 昭和53年に「大磯の左義長」 として、神奈川県無形民俗文化財に指定されたために、左義長の名称が一般に普及したと思われます。 平成9年には、国の重要無形民俗文化財に指定されました。 祭り当日、町内各所のおんべ竹やお仮屋などを片付け、集められたお飾りや縁起物を浜辺に運んで9つの大きな 円錐型のサイトが作られ、日が暮れると9つのサイトに火が入れられます。セエノカミサンの宮元や宮世話人が、 その年の恵方に火をつけます。 そして、セエトの火が燃え盛る頃、若い衆が裸になってソリ状の台に載せたセエノカミサンの仮宮を壊して海に引き 入れ、さらに浜方と陸(おか)方に分かれて綱を引き合う、ヤンナゴッコという珍しい行事も行われます。 |